不測の事態に備えるための高信頼性組織とは?
看護・医療やIT企業、インフラ、金融など、わずかな判断ミスが事業継続や顧客の安全に直結する業界では、不測の事態を「起こさない組織」であると同時に「起きたときに素早く立て直せる組織」であり続けることが求められます。こうした組織を研究したのが「高信頼性組織(HRO:High Reliability Organization)」という考え方です。
近年はパンデミック・自然災害・サイバー攻撃・サプライチェーン寸断など、事業を揺るがす出来事が増えたことで、製造業・サービス業・行政を問わず、HROの考え方への関心が再び高まっています。本記事では、HROの基本的な定義、カール・ワイクらが提唱した5つの要件、日本における研究をもとにした平時と有事のプロセス、そして自組織でHROを実装するための具体的なアプローチまでをまとめて解説します。
高信頼性組織(HRO)とは?
高信頼性組織(HRO:High Reliability Organization)は、ミシガン大学のカール・ワイク(Karl E. Weick)らが2001年に提唱した組織論の概念です。彼らは原子力発電所、航空母艦の艦上運用、消防指揮、航空交通管制など、ひとつのミスが致命的な事故につながりうる現場の調査から、「同じ条件でも事故を起こしにくい組織には共通点がある」ことを発見しました。
ワイクらはこの共通点を、単なる規則遵守やマニュアルの厚さではなく、組織で働く一人ひとりが常に何かを見逃していないかを意識し続ける状態だと結論づけ、これを「マインドフルな組織化(Mindful Organizing)」と呼びました。HROとは、このマインドフルな組織化が日常業務に浸透している状態を指します。
医療・インフラ・金融のような安全性重視の業界だけでなく、顧客トラブル対応が経営を揺るがしかねないITサービス企業や、規制変更への即応が必要な行政機関においても、HROのフレームはそのまま応用できます。
HROを支える5つの要件
ワイクらの研究では、不測の事態をうまく管理できるかどうかは、次の5つの要件を日々のオペレーションに組み込めているかにかかっているとしています。それぞれを現代のオフィスワークや情報システム運用に引きつけて解説します。
1. 失敗から学ぶ(Preoccupation with failure)
ミスやヒヤリ・ハットを隠さず、組織として学習材料に変える姿勢です。「問題・ミス・過失を発見した担当者が評価される」文化がHROの土台になります。失敗の報告者を責めないノンブレーミング(no-blame)な文化や、軽微な違和感をチームで共有する仕組みがここに含まれます。
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2. 単純化への抵抗(Reluctance to simplify)
「いつもの話だ」「前例通りでいい」と決めつけず、現場で起きていることを精緻に見ようとする姿勢です。「業務の中で何にでも疑問を抱くことが奨励されている」状態をつくり、違和感や反対意見を健全な批判として受け止められるかがポイントです。詳細で完璧なマニュアルを整備するほど、この感度を失いやすい点に注意が必要です。
3. オペレーションの重視(Sensitivity to operations)
意思決定が現場から遠ざかると、HROは成立しません。現場担当者が対応策の決定権者にいつでも直接コンタクトできる状態をつくり、一次情報を経営判断に反映させる仕組みが必要です。階層の深い組織ほど、このルートを意識的に短くする工夫が求められます。
4. 復旧能力を高める(Commitment to resilience)
失敗をゼロにできない前提に立ち、「起きた後にどれだけ早く立ち直れるか」を高める要件です。教育訓練への継続的な投資、非公式な問題解決ネットワークの存在、シナリオ演習の実施などがここに含まれます。
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5. 専門知識の尊重(Deference to expertise)
有事には地位や役職ではなく、最もその状況に精通した人が意思決定を行える組織であることが重要です。平時のヒエラルキーにとらわれず、専門性に対して一時的に権限を委譲できる柔軟性が、HROの最後のピースになります。
平時と有事の高信頼性組織プロセス
日本における高信頼性組織研究の第一人者である明治大学の中西晶教授によれば、平時と有事の高信頼性組織プロセスは以下の図のように整理できます。

出典: 情報通信産業における高信頼性組織の研究(明治大学 中西 晶 教授/JPCERT/CC講演資料)
この図のポイントは、平時と有事を貫いて中央にあるマインド(マインドフルな状態)が、HROを成立させる「ハブ」として機能していることです。平時には対話と確認、リスクの先読み、シミュレーションを通じてマインドフルな状態を保ち、有事にはそのマインドが「即応」と「復旧」に直接つながる構造になっています。
逆に言えば、平時に対話と確認を省略している組織では、有事に発動すべき即応・復旧の回路が育っておらず、結果として初動が遅れ被害が拡大しやすくなります。HROを志向するなら、有事対応マニュアルを厚くする前に、平時の「対話と確認」に時間を使えているかを見直すことが先決です。
電気通信事業における実証研究が示すこと
中西晶教授らの研究グループは、電気通信事業に関わる企業・団体・官公庁のメンバーに対して質問紙調査を行い、HROの5つの要素と障害発生頻度・障害回復時間の関連を分析しています。

分析結果の要点は次のとおりです。
単純化への抵抗と復旧能力は、「カテゴリーの精緻化」に強く影響していました。ここでいうカテゴリーの精緻化とは、問題発生時に本質と発生原因を徹底的に分析し、例外事象を事前にリストアップして部門で共有している状態を指します。
そして、このカテゴリーの精緻化が進んでいる組織ほど、障害の発生頻度が少なく、障害が発生した際の回復時間も短いという結果が得られています。
実務に引きつけると、HROを目指す組織がまず投資すべきは、「何にでも疑問を抱くことを奨励する対話の場」と「必要な教育訓練への継続投資」の2つであると言えます。派手な危機管理マニュアルの刷新よりも、日々の業務における小さな違和感の扱い方を変えることの方が、統計的には障害の発生頻度・回復時間の両方に効いているということです。
HROを自組織で実装する3つのアプローチ
理論を理解しても、実際の組織にHROを定着させるには具体的なアクションに落とし込む必要があります。ここではハートクエイクが研修支援の中で有効性を確認している3つのアプローチを紹介します。
① 失敗事例を共有するノンブレーミングな場をつくる
最初の一歩は、失敗を報告した人が不利益を被らない場を組織に用意することです。匿名で投稿できるヒヤリ・ハットシートや、週次の10分ミーティングで「今週気になったこと」を共有する時間をつくるだけでも、HROの「失敗から学ぶ」文化は育ち始めます。報告件数が直後に増えるのは正常なサインで、むしろ「安心して言えるようになった」ことを示しています。
心理的安全性との関係については 心理的安全性を確認する3つのサイン も参考にしてください。
② 対話と問いかけを業務フローに組み込む
「単純化への抵抗」と「オペレーションの重視」を日常業務に落とし込むには、ブリーフィング・デブリーフィングを定型化するのが有効です。作業前に「今日想定されるリスクは何か」、作業後に「想定と実際はどう違ったか」を30秒ずつでも言語化する習慣が、マインドフルな組織化の入り口になります。
③ 現場への権限委譲ルールを文書化する
「専門知識の尊重」は、有事になってから急に発動できるものではありません。平時のうちに、「どのレベルの事象であれば現場の判断で動いてよいか」を明文化しておくことが不可欠です。権限委譲の閾値を曖昧にしたままだと、有事に現場は上司の承認を待ち、初動が遅れる結果につながります。
高信頼性組織に関するよくある質問
Q1. HROとレジリエンスは何が違いますか?
レジリエンスは「衝撃を受けても元の機能を取り戻す力」を指す広い概念で、HROはそのうち特に「不測の事態を起こしにくく、起きても素早く立ち直る組織設計」に焦点を当てた研究領域です。HROの5要件のうち「復旧能力を高める」がレジリエンスに相当し、レジリエンス・エンジニアリングとも強い関係があります。
Q2. 中小企業や少人数チームでもHROは実装できますか?
可能です。むしろ階層が浅く情報伝達経路が短い中小企業の方が、現場の一次情報を経営判断に反映させやすく、HROの要件①〜③とは相性が良い側面があります。重要なのは人数ではなく、失敗を共有しても責められない文化と、対話の時間を業務に組み込む設計があるかどうかです。
Q3. HROの導入成果はどのように測れますか?
定量指標としては「障害・トラブルの発生件数」「障害発生から復旧までの平均時間(MTTR)」「ヒヤリ・ハット報告件数の推移」などが使われます。特にヒヤリ・ハット報告件数は導入直後に増えるのが成功のサインであり、「減ったから良い」と単純には判断できない点に注意してください。
Q4. HROとマニュアル整備はどちらを優先すべきですか?
マニュアル整備は「単純化への抵抗」とトレードオフになることがあります。詳細なマニュアルは平時の効率を高めますが、マニュアルに書いていない事象に対する感度を下げるリスクも持ちます。HROを志向する組織では、マニュアルを維持しつつ、マニュアルから逸脱する兆候を早期に拾い上げる対話の場をセットで設計することが推奨されます。
リスクマネジメントを体験的に学べるビジネスゲーム
HROの考え方を座学で伝えるだけでは、「頭ではわかったが実務では動けない」状態になりやすいのが現実です。ハートクエイクでは、HROが掲げる「不測の事態における意思決定」を体験的に学べるビジネスゲームとして、リスクマネジメント研修「船長の決断」をご用意しています。
「船長の決断」は、限られた情報の中で判断を迫られる状況を擬似体験するゲーム型研修で、単純化への抵抗、オペレーションの重視、専門知識の尊重といったHROの要件を、チームで議論しながら体感できます。リスクマネジメント研修・管理職研修・BCP研修の導入部として多くの企業にご活用いただいています。その他のラインナップはビジネスゲーム一覧からご覧ください。
さらに学びたい方へ(参考文献)
本記事は、以下の論文および書籍を参考に構成しています。HROをより深く学びたい方は合わせて参照してみてください。
・高木 俊雄「高信頼性組織概念の可能性とその実証的研究」
・Karl E. Weick, Kathleen M. Sutcliffe『Managing the Unexpected: Resilient Performance in an Age of Uncertainty』(邦訳: カール・E・ワイク, キャスリーン・M・サトクリフ『想定外のマネジメント―高信頼性組織とは何か』文眞堂)
・中西 晶『高信頼性組織の条件─不測の事態を防ぐマネジメント』生産性出版
