「キャリア安全性」とは?ワーク・エンゲージメントを高める新視点
2023年頃から「キャリア安全性」という新しい概念が注目を集めています。若手社員の早期離職が社会課題となるなか、この概念を軸に職場改善を議論する企業が急速に増えてきました。
「キャリア安全性」は、リクルートワークス研究所の古屋星斗氏が提唱し、話題となった書籍『なぜ「若手を育てる」のは今、こんなに難しいのか』(古屋星斗著、日経BP、2023年11月)のなかで詳しく論じられています。
本記事ではキャリア安全性とは何かを整理したうえで、その3つの要素、心理的安全性との違い、ワーク・エンゲージメントへの影響、そして企業として実践できる具体的な施策まで、体系的に解説します。
キャリア安全性とは?
キャリア安全性とは、ひと言で表すと「自分のキャリアの未来に対する不安のなさ」を指す概念です。従業員が、今の仕事を続けた先に自分のキャリアが安全であると感じられる状態を意味します。
古屋星斗氏は、この概念を若手社員の早期離職の背景を探るなかで見出しました。「居心地はいいけれど、このままで大丈夫だろうか」という不安を抱く若手が増え、結果として成長環境を求めて転職する現象が広がっていると指摘しています。
古屋星斗氏が提唱した背景
著者の古屋星斗氏はリクルートワークス研究所に所属しており、若年者のキャリア形成、若手育成、労働市場、労働・教育政策、未来予測を主な研究領域としています。
古屋氏は、近年の大卒新卒社員に対する丁寧な関わり方やハラスメント対策の浸透により、職場は「ホワイト化」しているにもかかわらず若手の離職率が下がっていない点に問題意識を持ちました。そこから、心理的安全性だけでは捉えられない「キャリア上の不安」が若手の中に存在している、という視点にたどり着いたのです。
キャリア安全性を構成する3つの要素
古屋氏は、キャリア安全性を次の3つの視座で捉えています。
・時間視座: このまま所属する会社の仕事をしていても成長できない、と感じるかどうか
・市場視座: 自分は別の会社や部署で通用しなくなるのではないか、と感じるかどうか
・比較視座: 学生時代の友人・知人と比べて、差をつけられているように感じるかどうか
これら3つの視座のどれか1つでも強く感じる状態は、本人のキャリア安全性が低下していることを意味します。
3要素の早わかり対比表
3要素の違いを一覧で整理すると次のようになります。
| 要素 | 従業員の問いかけ | 不安を感じる対象 |
|---|---|---|
| 時間視座 | このままで成長できるか? | 自社内での成長機会 |
| 市場視座 | 他社でも通用するか? | 外部労働市場での価値 |
| 比較視座 | 同世代に遅れを取っていないか? | 同期・友人との相対比較 |
このように、キャリア安全性は「自社内(時間)・社外(市場)・同世代(比較)」の3つの軸から見た総合的な未来不安の少なさを意味します。
キャリア安全性と心理的安全性の違い
キャリア安全性は、似た言葉である「心理的安全性」と混同されがちですが、実際には独立した概念です。古屋氏の調査によれば、キャリア安全性と心理的安全性の間には有意な相関がないことが確認されています。
つまり、心理的安全性が高いからといってキャリア安全性も高いとは限らず、逆もまた同様です。職場改善を考えるうえでは、両方の軸から別々に見直す必要があります。
心理的安全性の定義
心理的安全性は、Google のプロジェクト・アリストテレスで有名になった概念で、「このチームのなかでは自分の意見や質問、気持ちや懸念を安心して言える」という職場の状態を指します。ハーバード・ビジネス・スクールのエイミー・エドモンドソン教授が提唱しました。
ポイントは、心理的安全性が対象としているのは職場内のコミュニケーションであり、「今この瞬間、本音を言えるかどうか」という軸で測られる点です。
違いの対比表
両者を軸別に整理すると次のようになります。
| 比較軸 | 心理的安全性 | キャリア安全性 |
|---|---|---|
| 対象 | 職場内のコミュニケーション | 自分のキャリアの未来 |
| 問いかけ | 言いたいことが言えるか? | 成長できるか / 通用するか? |
| 時間軸 | 現在(今この瞬間) | 将来(これからのキャリア) |
| 提唱者 | エイミー・エドモンドソン(米国) | 古屋星斗(日本) |
| 代表的な指標 | 無知・無能・邪魔・否定的 と思われる不安 | 時間視座・市場視座・比較視座 |
なぜ両方が必要なのか
心理的安全性だけを高めて「意見を言える職場」を作っても、「でも成長はできない」と感じる若手は辞めてしまいます。一方で、成長機会だけを提供しても、言いたいことが言えない職場では適応できません。
両方が揃ってはじめて、若手は定着し、高いエンゲージメントを発揮できるのです。職場改善を検討する際は、自社の状態が「心理的安全性」「キャリア安全性」のどちらか、あるいは両方で不足しているのかを診断することが出発点になります。
キャリア安全性×心理的安全性の4象限マトリクス
古屋氏の研究では、2つの軸を組み合わせて職場を4タイプに分類しています。

縦軸にキャリア安全性、横軸に心理的安全性を置いた2軸マトリクスで、職場を Secure/Loose/Dangerous/Safe の4つに分類できます。
Secure — キャリア安全+心理的安全の理想型
心理的にも安全で、かつキャリアの未来にも不安がない状態の職場です。若手が「この会社で成長できる」と確信しながら、本音で意見を言える理想的な環境と言えます。
Loose(ゆるい職場) — 心理的安全だがキャリア不安
居心地はいいが「このままで大丈夫だろうか」という漠然とした不安がある状態です。心理的安全性が「ゆるさ」「ヌルさ」と誤解される典型ケースで、近年、ホワイト企業の新入社員の早期離職の原因として話題になっています。
表面的には問題のない職場に見えますが、成長実感が得られないために若手が静かに転職先を探す、という構造的な課題を抱えています。
Dangerous — 両方とも低い離職高リスク型
言いたいことも言えず、キャリアの未来にも不安がある状態です。最も離職リスクが高く、メンタルヘルス不調にもつながりやすい職場タイプです。
Safe — 昭和の体育会系型
キャリア安全性は高いが心理的安全性が低い、という組み合わせです。成長はできるが本音は言えない、古典的な徒弟制度的・体育会系的な職場が該当します。短期的には若手も耐えますが、価値観の変化した現代では離職につながりやすい類型です。
入職1〜3年目大卒以上正規社員での出現率

古屋氏の調査によれば、入職1〜3年目の大卒以上正規社員において、意外にも Secure(両方高い) が最も多く登場します。一方で、Loose(心理的安全だがキャリア不安)=いわゆるゆるい職場の割合も無視できない規模で存在しており、これが近年話題になっている「ホワイト企業の若手離職」問題の実体と言えます。
キャリア安全性がワーク・エンゲージメントに与える影響
キャリア安全性の議論がとくに注目されている理由は、ワーク・エンゲージメント(仕事への熱意・没頭・活力)との強い関連が確認されている点にあります。
相関研究の結果

古屋氏の研究によれば、キャリア安全性はワーク・エンゲージメントに正の相関を示します。キャリア安全性が高いほど、仕事に対する熱意・没頭・活力が高まるという関係です。
重要なのは、この効果は心理的安全性とは独立に発生するという点です。両者の相関はほぼゼロなので、片方だけを対策してもワーク・エンゲージメントは十分には高まりません。
長期勤続意向への影響

「いつまでその会社で働き続けたいか?」という設問への回答を見ると、Secure と Dangerous のあいだには圧倒的な差が現れます。キャリア安全性が高い状態の従業員は長期勤続意向を示しやすく、離職リスクが大幅に低いことがデータで示されています。
この結果は、キャリア安全性への投資が直接的に若手定着率の向上につながることを意味しており、人材投資のROIとしても非常に大きい領域と言えます。
企業が「キャリア安全性」を高めるための3つの施策
キャリア安全性を構成する3要素(時間視座/市場視座/比較視座)に対して、企業はそれぞれ具体的な施策を打つことができます。
時間視座への対策 — 日々の成長実感の提供
「このまま所属する会社で成長できないのでは」という不安を解消するには、日々の業務のなかで成長を実感できる仕組みが必要です。具体的には次のような施策が有効です。
・半年・1年後の成長マイルストーンを明文化して共有する
・ジョブ・クラフティング(仕事を自分で意味づけ直す技法)を習得する機会を設ける
・定期的な上司との1on1でキャリアに特化した対話を行う
とくにジョブ・クラフティングは、与えられた業務の意味を自ら再設計することで、日常の中から成長実感を生み出せる手法として注目されています。関連する研修については、弊社のシニア・ベテラン社員向けジョブ・クラフティング研修の記事で考え方を紹介しています(フレーム自体は若手にも応用可能です)。
市場視座への対策 — 外部通用性の育成
「他社で通用しないのでは」という不安には、社外でも評価されるスキルの可視化と育成が効果的です。具体的な方向性は次の通りです。
・自分のキャリアの適応力を定量化する診断の活用
・資格取得やポータブルスキルの見える化
・社外コミュニティ・勉強会・副業への参加を許容する制度設計
キャリア・アダプタビリティ(環境変化への適応力)は、とくに市場視座と強く関連する概念です。自社従業員のキャリア・アダプタビリティの現状を把握したい場合、キャリア・アダプタビリティとは何か? 診断テスト付きで無料の診断ツールを紹介しています。
比較視座への対策 — 自己肯定感の支援
「同期と差をつけられているのでは」という不安には、他人との比較ではなく自己成長に目を向けさせる支援が必要です。具体策としては次のような取り組みがあります。
・過去の自分との比較を促す仕組み(成長ログ、振り返り面談)
・「自分らしい強み」を発見させるワーク(ストレングス診断など)
・多様なキャリアパスの紹介(全員が同じレールに乗る必要はないというメッセージ)
比較視座は本人の内面の問題なので、制度だけで解消するのは難しい領域です。上司や先輩によるメンタリング、多様なキャリアロールモデルの可視化など、文化面での働きかけが効いてきます。
キャリア安全性を診断する際の注意点
自社のキャリア安全性を可視化したい場合、3要素を問うアンケートを若手社員向けに実施するのがもっともシンプルな方法です。その際、心理的安全性の誤解と混同しないように注意する必要があります。
たとえば、「自由に意見を言える職場」と「成長できる職場」は別ものです。前者は心理的安全性、後者はキャリア安全性(時間視座)の問題です。両者を切り分けずに若手へアンケートすると、「ゆるい職場だから不満」といった曖昧な回答が集まり、具体的な施策に落とせなくなります。
心理的安全性そのものに対する誤解も多いため、あわせて心理的安全性についてのよくある誤解の記事もご参照ください。
まとめ|キャリア安全性と心理的安全性の両輪で若手を定着させる
キャリア安全性は、若手社員のエンゲージメントと定着に直結する重要な概念です。心理的安全性と独立した別の軸であるため、職場改善を検討する際には両方の視点から見直すことが効果的です。
・キャリア安全性 = 自分のキャリアの未来に対する不安のなさ(3要素: 時間視座 / 市場視座 / 比較視座)
・心理的安全性とは独立した概念(相関はほぼなし)
・2つを組み合わせた4象限マトリクスで職場タイプを診断できる
・企業は3要素別に具体的な施策を打てる(成長実感/外部通用性/自己肯定感)
「居心地のいいホワイト企業なのに若手が辞めていく」という現象の背景を理解したい方には、キャリア安全性の概念を最初に提唱した古屋星斗氏の著書が最適な入門書です。
