人的資本経営を実数で読む|研修投資額・育成時間・エンゲージメント指標の3軸と投資対効果で大手8社を比較

【結論】サントリーホールディングスや旭化成など大手8社の開示情報を比較すると、一人当たり研修投資額や育成時間には大きな開きがあります。
各社のエンゲージメント指標は測定手法が異なるため単純比較はできませんが、自社の経年変化や開示の粒度を検証することが重要です。
本記事では一次資料の実数を基に、各社の研修・人材育成KPIの特徴と具体的な読み方のポイントを分かりやすく解説します。

目次

1. 人的資本経営の事例は「実数」で読むと景色が変わる
2. 8社の研修・育成KPI 早見表
3. 研修・人材育成KPIの読み方
4. 人的資本経営の企業事例8選
5. 8社の比較で見えた3つのパターン
6. 個社を深く読む:カルビーの人的資本インデックス
7. 研修会社の視点:この数字を自社にどう活かすか
8. よくある質問
9. 参考書籍

人的資本経営の事例は「実数」で読むと景色が変わる

2023年3月期の有価証券報告書から、人的資本に関する情報開示が義務づけられました。女性管理職比率・男性育児休業取得率・男女間賃金差異の3項目が必須となり、多くの企業がこれに合わせて統合報告書やサステナビリティレポートで研修投資額や育成時間まで開示するようになっています。

つまりいま、各社が人材にいくら投じ、どれだけの時間を育成にかけ、社員の状態をどう測っているかを、一次資料の実数で比較できるということです。

この記事では、サントリーホールディングス・旭化成・丸井グループ・ソニーグループ・伊藤忠商事・KDDI・日立製作所・SOMPOホールディングスの8社について、公式に開示されているKPIを研修・人材育成の切り口で横並びに整理しました。掲載した数値はすべて各社の公式レポートまたは公式データページで確認したもので、出典URLを併記しています。

8社の研修・育成KPI 早見表

まず結論から、8社の一人当たり研修投資額・育成時間・エンゲージメント指標を並べます。年度は各社の最新開示に合わせているため揃っていません。また後述のとおり、エンゲージメント指標は測定手法が各社バラバラなので数値の大小をそのまま比較することはできません

企業 一人当たり研修投資額 一人当たり育成時間 エンゲージメント指標
サントリーHD 392,000円(2024年) 76時間(国内グループ計) 働く誇りの好意的回答 86%
旭化成 265千円(FY2024) 27.0時間 KSA活力 3.57(5段階)
丸井グループ 累計約320億円(5年) 独自指標「期待が分かる」46%→80%
ソニーグループ —(延べ総数で開示) 延べ1,601,486時間 社員意識調査 89%
伊藤忠商事 60.6万円(2024年度) 31.0時間
KDDI 222,610円(FY2024) 59.3時間 高評価社員割合 60.3%
日立製作所 84,682円(2024年度) 32.5時間 スコア71.5(日本63.2/海外80.9)
SOMPO HD 51,836円(2024年度) 10.75時間 Gallup Q12 国内3.56/海外4.16

一人当たり研修投資額が開示されている6社だけを見ても、5.2万円から60.6万円まで約12倍の開きがあります。この差が何を意味するのかは、記事の後半で3つのパターンに整理します。

研修・人材育成KPIの読み方

一人当たり研修投資額(円/人・年)

もっとも比較しやすい指標ですが、注意点が2つあります。1つ目は分母の範囲です。単体なのか国内グループなのかグローバル連結なのかで数字は大きく変わります。2つ目は分子の中身で、外部研修費だけを計上する企業と、社内講師の人件費やeラーニング基盤の費用まで含める企業が混在します。

したがって他社との比較よりも、自社の前年比・3年推移で見るほうが実務的です。旭化成のようにFY2022の198千円からFY2023の242千円、FY2024の265千円と推移を並べて開示している企業は、意図をもって投資を増やしていることが読み取れます。

一人当たり育成時間(時間/人・年)

金額よりも実態を映しやすい指標です。金額はグループ会社の講師単価や外部委託比率に左右されますが、時間は「社員が実際に学びに使った時間」に近いためです。

ただしこちらも、必修eラーニングの視聴時間を含めるかどうかで数字が動きます。10時間台の企業と70時間台の企業を「5倍の差」と読むのは早計で、何をカウントしているかを併せて確認する必要があります。

エンゲージメント指標

もっとも取り扱いに注意が必要な指標です。8社を見ても、独自サーベイの5段階スコア(旭化成)、肯定的回答の割合(サントリー・KDDI・ソニー)、Gallup Q12の平均点(SOMPO)、グローバル共通サーベイのスコア(日立)と、測定の物差しがまったく違います。

エンゲージメントスコアの数値そのものを企業間で比較することには意味がありません。見るべきは、同一手法での経年変化と、開示の粒度(国内外の内訳や参加率まで出しているか)です。

人的資本経営の企業事例8選

各社の開示から、研修・人材育成に関わるKPIを抜き出しました。数値はすべて公式の一次資料で確認したものです。

サントリーホールディングス ― 「人的資本ROI」まで開示する

学びのプラットフォーム「寺子屋」に国内グループで25,504人が参加するなど、全社員に開かれた学習機会を整備しています。特徴的なのは人的資本ROIを64%と数値で開示している点で、人材投資を費用ではなくリターンを問う対象として扱う姿勢が明確です。重要ポストの内部登用率71%、離職率2.1%と、育てて留める側のKPIも揃っています。

KPI 数値 年度
一人当たり教育研修費 392,000円 2024年実績
一人当たり研修受講時間 76時間(国内グループ計) 2024年実績
エンゲージメント(働く誇りの好意的回答) 86%(2030年目標90%) 2024年実績
人的資本ROI 64% 2024年実績
新卒定着率(2017〜19年入社) 91.8% 2024年実績
重要ポスト内部登用率 71% 2024年実績
離職率(自発的+自由選択定年) 2.1% 2024年実績
学びのPF「寺子屋」参加者 25,504人(国内グループ計) 2024年実績

出典: 人的資本レポート2025

旭化成 ― 投資額の3年推移を並べて見せる

一人当たり教育投資額をFY2022の198千円、FY2023の242千円、FY2024の265千円と3年分並べて開示しており、投資を意図的に積み増していることが読み取れます。独自のKSA(活力)指標を5段階スコアで測定し、デジタルプロフェッショナル人材は目標2,500名を前倒しで達成して3,157名まで到達しました。

KPI 数値 年度
一人当たり教育投資額 265千円(FY2022:198→FY2023:242) FY2024
一人当たり教育投資時間 27.0時間(FY2023:28.1) FY2024
KSA活力(5段階) 3.57(FY2022:3.54→FY2023:3.55) FY2024
活力指標の好意的回答割合 57.3% FY2024
女性管理職 335名・4.9%(2030年度目標10%) FY2024
デジタルプロフェッショナル人材 3,157名 2025年3月末
男性育休取得率 92.8% FY2024

出典: 旭化成 サステナビリティ「人財」

丸井グループ ― 人材投資のIRRを開示する

8社のなかで投資対効果の開示がもっとも踏み込んでいます。2017年3月期から2021年3月期の人的資本投資約320億円に対し、新規事業の限界利益を約560億円(2026年3月期見込みまで)と見積もり、内部収益率(IRR)12.7%という数字を提示しています。今後5年で650億円以上へ投資を拡大し、人件費に対する比率を22%から35%へ引き上げる計画です。

KPI 数値 年度
人的資本投資額(累計実績) 約320億円 2017.3期〜2021.3期
投資リターン 新規事業限界利益 約560億円・IRR 12.7% 17.3期〜26.3期見込
投資拡大計画 5年で650億円以上/人件費比22%→35% 中期計画目標
独自エンゲージメント指標 「期待が分かる」46%→80% 2012→2022
女性管理職比率 23.3% 2026年3月時点
男性育休取得率 100% 2026年3月時点

出典: 丸井グループ 人的資本経営レポート#2

ソニーグループ ― グローバル規模の学習量を延べ数で示す

一人当たりではなく延べ総量で開示するスタイルです。2024年度は全世界で17,755本のプログラムを実施し、延べ288,944人・1,601,486時間の受講がありました。社員意識調査のエンゲージメント指標は89%で、参加率92%まで併記しているため回答の代表性が読み取れます。1966年開始という社内公募制度(上長承認不要)の歴史も、人材の流動性を社内で担保してきた証左です。

KPI 数値 年度
社員意識調査エンゲージメント指標 89%(2022:90→2023:90) 2024年
同 参加率 92% 2024年
研修実施(全世界) 17,755本/延べ288,944人/延べ1,601,486時間 2024年度
女性社員比率/女性管理職比率(グローバル) 34.2%/31.6% 2024年度末
社内公募「社内募集」制度 1966年開始(上長承認不要)

出典: ソニー Sustainability Report 2025「人材」

伊藤忠商事 ― 一人当たり投資額が8社で最高水準

一人当たり人材育成投資額60.6万円は、今回調べた8社のなかで最高額です。年間総研修時間125,055時間、一人当たり31.0時間と、時間の実績も併せて開示しています。総合商社という業態上、少数精鋭の社員に厚く投資する構造がそのまま数字に表れています。

KPI 数値 年度
一人当たり人材育成投資額 60.6万円 2024年度
年間総研修時間 125,055時間 2024年度
一人当たり研修時間 31.0時間 2024年度
女性管理職比率 9.0% 2025年3月末
女性役員・執行役員比率 21.3% 2025年3月末

出典: 伊藤忠商事 ESGデータ

KDDI ― 研修時間の増減まで見える

一人当たり研修時間はFY2022の75.7時間、FY2023の107.0時間に対しFY2024は59.3時間と、増減がそのまま開示されています。研修費用も238,547円から222,610円へ動いており、施策の切り替え(大規模なDX人財育成プログラムの山と谷)が数字から推測できます。エンゲージメント高評価社員割合は60.3%で、ほぼ横ばいを維持しています。

KPI 数値 年度
一人当たり研修時間 59.3時間(FY2022:75.7→FY2023:107.0) FY2024
一人当たり研修費用 222,610円(FY2023:238,547円) FY2024
エンゲージメント高評価社員割合 60.3%(FY2022:58.8→FY2023:60.4) FY2024
女性管理職比率 部長以上5.8%/課長11.9% FY2024
DX人財 約2,000名→約4,000名規模へ拡大計画+DXコア人財500名 2021年発表

出典: KDDI ESGデータ(社会)

日立製作所 ― グローバル共通サーベイで国内外の差まで開示

コーポレートユニバーシティ「日立アカデミー」を核に教育をグローバル展開しています。エンゲージメントスコアは71.5で、日本63.2・海外80.9という内訳まで開示しており、国内の課題を隠さない姿勢が特徴です。12のケイパビリティで数えたデジタル人財は延べ107,000人規模に達しています。

KPI 数値 年度
一人当たり年間教育投資額 84,682円(2022:77,400→2023:86,405) 2024年度
一人当たり年間教育時間 32.5時間(2022:27.9→2023:30.4) 2024年度
エンゲージメントスコア(肯定回答率) 71.5(日本63.2/海外80.9) 2024年度
デジタル人財数(12ケイパビリティ延べ) 107,000人(2020年度35,000人) 2024年度
女性管理職 グループ11,739人・15.8% 2024年度

出典: 日立 ESGデータブック2025(p.13)

SOMPOホールディングス ― 外部標準の物差しで測る

社員一人ひとりの「MYパーパス」を起点にしたパーパス経営を進めており、エンゲージメントの測定にGallup Q12という外部標準を使っています。国内3.56点・海外4.16点、高エンゲージメント社員割合は国内19.0%・海外53.0%と、内外差を隠さず開示しています。研修時間・費用は8社のなかでは小さめの数字ですが、外部標準で継続測定していることの価値は別に評価すべきです。

KPI 数値 年度
一人当たり平均教育・研修時間 10.75時間 2024年度
一人当たり平均教育・研修費用 51,836円 2024年度
エンゲージメント(Gallup Q12) 国内3.56点/海外4.16点 2024年度
高エンゲージメント社員割合 国内19.0%/海外53.0% 2024年度
女性管理職比率 26.6% 2024年度

出典: SOMPO ESGデータ

8社の比較で見えた3つのパターン

1. 投資水準には約12倍の開きがある

一人当たり研修投資額を開示している6社を並べると、SOMPOホールディングスの51,836円から伊藤忠商事の60.6万円まで、約12倍の開きがあります

企業 一人当たり研修投資額 一人当たり育成時間
伊藤忠商事 60.6万円 31.0時間
サントリーHD 39.2万円 76時間
旭化成 26.5万円 27.0時間
KDDI 22.3万円 59.3時間
日立製作所 8.5万円 32.5時間
SOMPO HD 5.2万円 10.75時間

ただしこの差を「人材への本気度の差」と読むのは短絡的です。連結従業員数が数十万人規模の企業と、単体数千人規模の企業では分母がまったく違います。日立製作所の8.5万円は連結ベースの数字であり、単体の育成投資が薄いことを意味しません。

実務的に意味があるのは、自社と規模・業態が近い企業の数字を基準線として置くことです。

2. エンゲージメント測定には3つの流派がある

8社の測定手法は、大きく3つに分かれます。

独自指標型(丸井グループ・旭化成)― 自社の言葉で問いを設計する。丸井の「期待が分かる」のように、自社の課題に直結した問いを10年単位で追える強みがある
外部標準型(SOMPOホールディングス)― Gallup Q12のような確立された尺度を使う。他社比較や学術的な妥当性で強い
全社意識調査型(ソニーグループ・日立製作所・KDDI・サントリーHD)― 既存の従業員調査の一部として肯定回答率を出す。参加率まで開示している企業は数字の信頼度が高い

どれが優れているという話ではなく、目的が違います。自社課題の改善を追うなら独自指標型、経営会議で外部の物差しを示したいなら外部標準型が向きます。

3. 投資対効果まで踏み込む企業が現れている

多くの企業が投資額と時間の開示にとどまるなか、丸井グループはIRR12.7%、サントリーホールディングスは人的資本ROI 64%と、リターン側の数字まで開示しています

人材投資は効果測定が難しいと言われ続けてきましたが、開示義務化を機に「測って見せる」段階に入った企業が出てきたということです。研修の現場から見ると、これは他人事ではありません。研修を実施したら、参加者の満足度だけでなく行動変容や業績への接続まで測る設計が、今後は当たり前に求められるようになります。

個社を深く読む:カルビーの人的資本インデックス

8社の横並び比較では見えない「その企業ならではの設計」は、1社を深く読むとよく分かります。カルビーは独自の人的資本インデックスを設計し、自社の経営戦略と人材KPIを紐づけて開示している企業です。指標の選び方そのものが戦略の表明になっている好例なので、別記事で詳しく取り上げています。

カルビーの人的資本経営を読み解く(個社事例)

研修会社の視点:この数字を自社にどう活かすか

ここまでの8社の数字を、自社の人材育成にどう落とし込むかを3つに整理します。

基準線を1社だけ決める

8社すべてと比べても混乱するだけです。規模・業態がもっとも近い1社を基準線に選び、その企業の一人当たり投資額と育成時間を自社の目標値の出発点にします。開示されている数字なので、社内の説明資料にそのまま使えます。

測る指標を先に決めてから研修を設計する

エンゲージメントを上げたいのか、特定スキルの保有者数を増やしたいのか、内部登用率を上げたいのかで、打つべき研修はまったく変わります。サントリーホールディングスが重要ポスト内部登用率71%を開示しているように、ゴールの指標を先に決めると研修の中身は自動的に絞り込まれます

体験型の研修は「行動の変化」を観察しやすい

満足度アンケートだけでは、投資対効果の説明に耐えません。ビジネスゲームのような体験型研修は、参加者が実際にどう判断し、どう協働したかがその場で観察できるため、行動変容を前提とした効果測定と相性がよいという特徴があります。人的資本のKPIとして「研修時間」だけでなく「研修で何が変わったか」を示したい企業ほど、体験型を選ぶ意味があります。

よくある質問

Q. 人的資本経営の代表的なKPIは何ですか?

有価証券報告書で開示が義務づけられているのは女性管理職比率・男性育児休業取得率・男女間賃金差異の3項目です。これに加えて多くの企業が、一人当たり研修投資額、一人当たり育成時間、エンゲージメントスコア、内部登用率、離職率などを任意で開示しています。

Q. 一人当たりの研修投資額の相場はどのくらいですか?

本記事で確認した6社では51,836円から60.6万円までの幅がありました。連結従業員数の規模や、費用にどこまで含めるかで大きく変わるため、業種・規模の近い企業の開示値を基準線にするのが現実的です。

Q. エンゲージメントスコアは企業間で比較できますか?

できません。独自サーベイの5段階スコア、肯定的回答の割合、Gallup Q12の平均点など測定手法がバラバラで、同じ「エンゲージメント」という言葉でも中身が違います。比較するなら同一手法・同一企業の経年変化を見てください。

Q. 人的資本の情報開示はいつから義務化されましたか?

2023年3月期の有価証券報告書から、人的資本に関する情報の記載が求められるようになりました。これを機に、統合報告書やサステナビリティレポートで研修投資額や育成時間まで踏み込んで開示する企業が増えています。

Q. 中小企業でも人的資本経営に取り組めますか?

取り組めます。開示義務の対象でなくても、育成時間と投資額を記録して前年と比べるだけで、人材投資の意思決定は大きく変わります。まずは指標を1つか2つ決めて、継続して測ることから始めるのが現実的です。

参考書籍

他社の開示例から自社の打ち手を考えたい方へ、のべ5,000社超の人的資本開示を分析し、経営戦略と人材戦略をつなぐ実践ノウハウを体系化した一冊を紹介します。


この記事を書いた人

千葉 順
千葉 順
株式会社HEART QUAKE 代表取締役
元法政大学兼任講師(キャリアデザイン論)
→ 詳しいプロフィール

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